瀬戸内寂聴「女徳」恋多き女

芸者の使うかんざし

瀬戸内寂聴にしか書けない

恋に生きる女、生きられない女

頭をまるめた尼さんで、100才近い御高齢。にもかかわらず、時々マスコミに名前があがる。

何も知らない人からみたら、人生の悟りについて説く宗教家か思う。現代のお悩み解決に使えそうな、仏教の教えを語ってくれるお坊さん、いますよね。そんな感じかと。

実際、瀬戸内寂聴さんも、悩み相談というような活動をしているよう。でも、ただの宗教家と思ったら大間違い。出家して尼さんになったのは50才の時。それまでは、恋に生き、恋に命をかけ、そんなふうだったらしい。

この「女徳」は、「そういう人じゃないと書けないよね。」という作品。

本

恋に生きる、とは

  1. 「好き」という気持ちに正直、多分正直にならずにいられない
  2. 恋に正直すぎるせいで、時々誰かを傷つけ、非難も浴びる
  3. どっちが正しいと誰が裁くのか

「女徳」ってどんな作品

京都嵯峨野に住む智蓮尼。尼姿、老齢ながら人目をひく美しさ。

昔は、東京でも関西でも名前をとどろかせた超絶人気の芸者だった。

その頃の事を昔語りする智蓮尼と、その話に耳を傾ける、美人着物デザイナーの亮子。

亮子は離婚歴があり、一度の結婚で主婦生活には幻滅している。恋愛でひどく傷ついた経験あり。そのせいで、今は、よってきた男達と適当に恋を楽しんでいる。

智蓮尼の方は、髪をおろして尼姿になるまでは、数え切れない男達を惑わせ、自分も男のために奔走させられた。

普通に適齢期で結婚して、子供を産み育てて一家の主婦となって、そういう人生を歩まない二人の女性。そして、それはまた、作者、瀬戸内寂聴の姿でもあったりします。

読書

「好き」という気持ちに正直、多分正直にならずにいられない

女の恋愛はタブーの時代

寂聴さん自身が若かった頃、日本は太平洋戦争のまっただ中。その頃の常識にしたがって、ごく普通にお見合いをし、結婚、女の子を産む。

ところが教職にあった夫の教え子に恋をし、子供を残してかけ落ち。その相手と別れ、妻子ある男性と長年にわたって半同居。その後もまた別の不倫関係におちいり、その合間にも、他の男性との関係がちりばめられている。

こう書くと、良いイメージはもちにくい。若い頃の私は、何事も理屈でしか考えられなかったので、特に最初の、「我が子を捨ててかけおち」が許せないと思っていました。母親が子供を捨てるなんて。

みんな自分のままにしか生きられない

でも自分があれこれ人生の苦労をした末に思うのは、人はその人のあるがままにしか生きられない、という事。

「この人が好き」と思ったら、突き進まずにはいられない。それは、好きな人がいても、相手にそれを打ち明ける勇気がどうしても持てない、と実は同じ。

どんな人も自分の生きられるようにしか生きられない。

恋に正直すぎるせいで、時々誰かを傷つけ、非難も浴びる

まあ、自分のあるがままにしか生きられないといっても、「激しいアップダウンには耐えられない、常識を踏み越えて非難のやり玉にあげられるのは耐えられない」というのが自分の持って生まれた個性なら、人生穏やかに過ごせる。

けど、すぐに誰かを好きになりやすく、好きになったらそれを隠すことができない、というのが持って生まれた個性だと、人生ややこしくなる。

更に、世間の非難を浴びても耐えきれるという強さがあれば、もう完璧。普通に結婚して主婦の人生をまっとうする事は難しくなる。

それでも、現代だと、主婦道をまっとうしない女性も、そうそう責められない。

そもそも結婚相手も自由に自分で選べる、結婚前にたくさんの男性とつきあっても問題ない。となると、様々な男性と付き合って、自分に一番合いそうな人と結婚する、という、まあ恋多き女性でも、一度の結婚で満足できそうなやり方もある。

けど、瀬戸内寂聴が若かった頃は違う。結婚前に男性とお付き合いなんて絶対ダメ、お見合いといっても女性の側から断るなんてまずありえない。

自分と合わない男性と結婚してしまう可能性は低くない。しかも相手を好きになれないと悟っても、女はただがまんするしかない。それが、女としての正しい生き方。

そんな時代に、恋に正直、世間に非難されるより自分にウソをつく方ががまんできない、そんな性格に生まれたら、まあ穏やかな人生なんて送れません。

どっちが正しいと、どうやって裁くのか

道徳、常識

道徳って難しい。結婚相手を愛せず、いがみあいながら夫婦生活を送るくらいなら、離婚した方がお互い幸せだと思う。

けど、子供はどうなるのか。私自身も離婚していて、自分の子供に両親そろった円満な家庭というものを与えられなかった。きっと息子は、父親と母親両方そろった、よその子供がうらやましかったはず。

母親が他に好きな人が出来たと言って、自分をおいて家から出ていってしまったら、子供はさみしい思いをしないはずがない。

でも人間は、いつも、自分がどういう人間かと、きちんとわかって生きているわけではない。結婚して子供を産んで、その後に、「自分はこういう人間だったんだ。」と気づく事もある。

殺人のように、明らかに刑法に反する犯罪でなければ、「あの人は悪い」と裁くのはとても難しいのではないでしょうか。

胸がドキドキする作品

この「女徳」の智連尼も、瀬戸内寂聴さん本人も、様々な男性遍歴の後、出家して、男性と縁を切った生活へ入っていく。

私のように、女としては平凡な人間からみると、恋多き女性ってうらやましくもありますが、そういう人には、また私にはわからない苦しみもあるのでしょうか。

「女徳」は、恋多き女性が読めば「そうそう、わかる。」という気持ちになるでしょうし、恋と縁遠い女性が読めば、「そういう世界もあるのねー」と少し夢心地になる。

そして男性が読めばどう思うのでしょうか。「そんなふしだらな女性は絶対いや。」と思うのか、「こんな魅力的な女性とお付き合いしてみたいものだ。」と思うのか。

まあ、とにかく、退屈なんて一切せず、あっという間に読み進めてしまう、そんな作品である事はまちがいないと思います。

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